吉田K

98Y

ライシテという「正義」

フランスではライシテと呼ばれる政教分離主義が採用されている。これによって公の場では十字架を飾るなどの行為は禁止される。

これは19世紀にフランスの支配者であったカトリックから独立した政治・文化を確立しようと当時のフランス市民が勝ち取った、宗教に支配されない権利だ。フランスではカトリックに代わりライシテが包括的な価値体系として共有されている。

 

現代のフランスにおいても、ライシテは重要なものとして国民に浸透している。

記憶に新しいのは、イスラームに対して政教分離を守ることを求めるために行われた大規模デモである。しかしイスラームは厳格な政教一致の宗教であり、その戒律を破ることを求めたライシテの運動には、社会の少数派に対する弾圧の側面もある。ちなみにフランス国民におけるムスリムの割合は6-7%であり、残りの殆どがカトリック教徒だ。ライシテが「正義」であるという価値観によって少数派の弾圧が正当化されていると見ることもできる。

また、悲しいことに、カトリックが多い地域ほどデモへの参加者が多かったというデータもある。ライシテという名目で「正義」を掲げながらも、本当の気持ちはただの反イスラームなのではないかと疑ってしまう。

かつての少数派が多数派となり、また新たな少数派を弾圧するという構図。現代のライシテは19世紀のカトリックとどこか重なって見える。

 

もちろん、カトリックを公の場で禁止したようにライシテを撤廃する訳にはいかないだろう。その行く先には増え続けるムスリムが多数派になり少数派となったカトリックを弾圧する未来が見えているからである。

そもそもフランスはカトリックの国でありライシテという権利を勝ち取った市民の国であるから、「よそ者」のためにみすみすその権利を放棄したくない気持ちは理解できる。

 

しかしこのままでは少数派が多数派に弾圧されるという構図が変わらない。ライシテも、ムスリムの権利も、どちらも守ることはできないか。

二者の原則は矛盾している。矛盾しているものが共存するにはお互いの妥協が不可欠である。最低限度のイスラーム的振る舞いのみ許容することが現実的な解決策となり、全ての弱者たり得る人々の権利を保障することに繋がるのではないだろうか。