吉田K

98Y

旧ユーゴスラビア連邦の旅

約10日間くらいかけ旧ユーゴスラビア連邦(スロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴヴィナモンテネグロコソボ北マケドニアセルビア)を旅してきた 移動方法は全て長距離バスだ 殆どのバスはネットで予約することができたが、いくつかは現地で購入した 当日のチケットも普通に購入することができたので、全て現地購入でも全く問題はなかったように思う

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スロベニアの首都リュブリャナ 写真上に写っているのはリュブリャナ

 

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クロアチアの首都ザグレブの中心街 

 

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サラエボ事件の現場

 

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サラエボの虐殺を伝えるギャラリー


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サラエボにある境界線


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モンテネグロの信じられないほど田舎な首都ポドゴリツァ


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コソボにある(実質的な)独立を記念したモニュメント


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コソボのどことなくアジアを感じさせるマーケット


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ギリシャ文化を前面に押し出している北マケドニアの首都ティラナ


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↑想像よりも立派な都市だったセルビアの首都ベオグラード


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NATO空爆を受けたベオグラードの軍事関係のビル

 

特に印象深かったのはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボだ 戦争の爪痕が残る建物、民族の境界線を越えるとがらりと雰囲気の変わる街並み、紛争と虐殺の歴史を伝える博物館、そして第一次世界大戦勃発のきっかけとなったサラエボ事件の現場など見所が多かったからだ

もちろんサラエボだけでなくそれぞれの国が多様な民族や文化、宗教を抱えており、この国々がほんのつい最近まで一つの国だったという事実は信じ難いものだった

 

バルカン半島における五族協和状態のユーゴスラビアを纏めていたチトー大統領の死後各地で独立運動が勃興、それを抑圧し中央集権化を進めようと目論む大セルビア主義によって虐殺を含む悲惨な内戦が勃発し、つい20年前までそれが継続していたこの旧ユーゴスラビア連邦地域

その反省を生かし民族間融和が進んでいるかと思いきや、アルバニア人がその人口の殆どを占めるコソボでは近年急速に大アルバニア主義が台頭 首都プリシュティナは併合を求める隣国アルバニアの国旗で埋め尽くされていた

セルビアが未だ独立を認めておらず国連でも最終的な地位が未決定なコソボの暴走をきっかけに再び負の歴史が繰り返されないことを願いたい

 

 

ヨーロッパを長距離バスだけで旅したのでそれぞれの都市をレビューしてみる

現在フランスのリヨンという街に留学している。そこを拠点に長距離バスで旅行した国がある程度たまってきたので、一度ここでまとめてついでにレビューもしてみることにした。

以下に行き方は書いていないが、全てリヨンや他の都市から長距離バスを駆使して行ける都市である。ぜひ参考にしてほしい。

 

ブリュッセル🇧🇪(ベルギー)

総合:★★★★☆

ご飯:★★★★☆

観光:★★★☆☆

快適:★★★★☆

ベルギーワッフルは言わずもがな、肉とビールも格別の美味しさだった。

観光地はそんなに見る場所が多いわけではないが、建物は綺麗だし有名な小便小僧も見られるので満足度は高い 見所がコンパクトに纏まっているので全く疲れないし、清潔感があり治安も良いので好印象だった。英語はあまり通じないがどこも同じなのであまり評価には関係なし

 


アムステルダム🇳🇱(オランダ)

総合:★★★☆☆

ご飯:★☆☆☆☆

観光:★★★☆☆

快適:★★★★☆

アムステルダムはやっぱり文化の集積地なだけあり色んな国の食べ物が集まっている でも裏を返せばどれもアムステルダムじゃなくても食べられるということなので結局食べたのはコスパ重視のケバブ

観光地に関しては、レッドライト地区が印象的過ぎてそのイメージしか残っていないが、美術館が充実していたりアンネフランクの家があったりと学べることは多い アンネフランクの家は予約がかなり難しいので注意 個人的に次訪れる機会があれば必ず行きたいポイント なおトラムで大体回れるので観光地まで歩く必要がほぼないのはポイントが高い

 


ルクセンブルク🇱🇺

総合:★★☆☆☆

ご飯:★☆☆☆☆

観光:★★★☆☆

快適:★★☆☆☆

朝早くはどこの店もやってなくて寂しくマックに入った覚えしかない 振り返ってみても飯の写真が一つもない

冬はとにかく寒い ただ、遺跡は世界遺産なだけあって寒さを忘れるほどの迫力 街もコンパクトで見やすくそれなりに充実している

ただ繰り返すが、時期によってはひたすら寒い

 


ベルリン🇩🇪(ドイツ)

総合:★★★★☆

ご飯:★★★★☆

観光:★★★★★

快適:★★★☆☆

ドイツと言えばのソーセージとビール、やはり美味しい ドイツ料理はもっと食べてみたいと思える

また第二次世界大戦から冷戦にかけての歴史を学ぶのにこれ以上適した街はない、やはり一度は足を運ぶべき場所だ 日本と同じような歴史を辿っていながら、自国の行為への態度はまるで違う 日本人は自国の行為についてどれだけ無責任だろうと考えさせられる 一つ残念な点としては、観光するには地下鉄が微妙に使いづらいところが挙げられる

 


クラクフ🇵🇱(ポーランド)

総合:★★★☆☆

ご飯:★☆☆☆☆

観光:★★★★★

快適:★★★☆☆

ただでさえ物価が安いのでファストフードが異常に安いのが印象的だった

アウシュヴィッツは必ず行くべき場所 ナチスについて軽率な発言を繰り返している日本人はここを訪れたら二度とそんなことを言えなくなるに違いない

クラクフの駅には大きいショッピングモールがあり時間を潰すには最適 またアウシュヴィッツまではバスで一本と分かりやすい ただクラクフまでのアクセスは良くないのでルート組みが難しい またユーロが全く使えないことにも注意が必要

 


プラハ🇨🇿(チェコ)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★★★★

観光:★★☆☆☆

快適:★☆☆☆☆

値段高めの店で食べたのもあるけどかなり料理が美味しい印象 ヨーロッパ旅行全体通しても美味しい方だったと思う

街は綺麗だけどそこまで見所はない 街を歩くと日本人女性だらけで驚く インスタの影響?

あと観光するにはとにかく歩く必要があり、高低差があるから結構疲れる

また、ここもユーロが使えない


ブラチスラヴァ🇸🇰(スロバキア)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★★☆☆

観光:★☆☆☆☆

快適:★★★★★

現地料理が美味しい

あと謎に札幌ラーメンの店があり、入ろうか迷うほど立派な店構えだった

コンパクトな街で見所もないが人が多くない分落ち着いていて雰囲気はとても良い

基本一本道で大体見られるのもポイントが高い

 


ウィーン🇦🇹(オーストリア)

総合:★★☆☆☆

ご飯:★☆☆☆☆

観光:★★☆☆☆

快適:★★★☆☆

やたら美味しい日本食の店がある

あまり見るところはないが街は綺麗 モーツァルトの家はウィーンらしくて良い観光地だと感じた 展示の量に対してオーディオガイドが長すぎたのはご愛嬌 オペラを見ればもっと楽しめると思う

観光方法としては基本は歩きになる、ただある程度コンパクトに纏まっているからそこまで疲れることはない

 


ブダペスト🇭🇺(ハンガリー)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★★☆☆

観光:★★☆☆☆

快適:★★★★☆

正直これといった料理も見所もない、しかし惹き込まれる不思議な魅力を持っているのがブダペスト

西ヨーロッパよりもヨーロッパらしい美しい街並みをブダ城から一望できる

ブダ城までゴンドラで登れるのも嬉しい

 


パリ🇫🇷(フランス)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★☆☆☆

観光:★★★★★

快適:★☆☆☆☆

パリの料理は高すぎるのでおすすめできない 観光客向けの店は入らない方がいい

ルーブル美術館は最高の美術館、パリに来たら必ず行くべき 近くのオルセー美術館も併せて行くとなお良し 一方でエッフェル塔凱旋門はこんなものかという感じ

個人的にやれジレジョーヌだスリだ(盗まれてはいない)で精神と体力をすり減らしたので治安面の印象が悪い

 


リヨン🇫🇷(フランス)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★★☆☆

観光:★★☆☆☆

快適:★★★★☆

西ヨーロッパを一通り回った後にようやくリヨンの料理を食べるとかなりの美味しさで驚いた やはりポールボキューズで知られる美食の街なだけある

観光名所はそこまであるわけではないがパリよりも本当のフランスらしいフランスを垣間見られる

また観光地はどれも駅から近く周りやすい

長距離バスのハブになっているのでアクセスが良いのも高評価

 


トゥールーズ🇫🇷(フランス)

総合:★★☆☆☆

ご飯:★★☆☆☆

観光:★★☆☆☆

快適:★☆☆☆☆

美食の街と呼ばれているらしいが乗り換えで滞在しただけなので時間がなくベトナム料理しか食べられなかった

街の雰囲気は良いが特筆すべき見所はない、というか個人的にジレジョーヌが催涙弾を目の前で投げてきたのが衝撃的すぎて他の全てが吹っ飛んでしまった

 


ローマ🇮🇹(イタリア)

総合:★★★★★

ご飯:★★★★★

観光:★★★★★

快適:★★★★☆

イタリア料理が最高なのは予想通り だが流石首都なだけあって種類が豊富 あと本場のジェラートが想像を超える美味しさ、必食

見るところがたくさんあって回るのは大変だがしかしどれも有名なものなので大満足間違いなし

治安はそこまで悪くないがスリには若干注意、ただそれは主要な観光都市ならどこの街でも同じ

主要な観光地を1日で全て回るとかなり歩き疲れるので必ず泊まるべき

 


ヴェネツィア🇮🇹(イタリア)

総合:★★★★☆

ご飯:★★★★☆

観光:★★★★☆

快適:★★★☆☆

イタリア料理はどこも段違いに美味しい

そしてこんな綺麗な街があるのかというくらいに水路と煉瓦のコントラストが美しい街 それ以上でもそれ以下でもないがそれでも行く価値があるくらい圧倒的

ただ、ただでさえ狭い道に観光客が多すぎるのと結構道が複雑で迷いやすいのは難点


バチカン市国🇻🇦

総合:★☆☆☆☆

ご飯:☆☆☆☆☆

観光:★★☆☆☆

快適:★☆☆☆☆

レストランはバチカン市国内にも一応あるようだがローマで食べた方がいい

展示や建物はそこまでの感動はないがそこそこ楽しめる

ただ国の入り口が詐欺師だらけで酷い これを放置しているのはいかがなものか

 


ジュネーブ🇨🇭(スイス)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★★☆☆

観光:★★★☆☆

快適:★★☆☆☆

適当に入ったレストランが結構当たりだったのでおそらく他の店も美味しいと思われる チーズフォンデュなどが有名らしい

国連を見に行くかどうかで観光の充実度は大きく変わる 国連は実際に会議中の部屋を見られるなどかなり満足度の高いツアーだ ただかなり朝早くに行かないとチケットを取れないので大変

あとEU加盟国ではないのでFreeのSIMカードがそのまま使えない、まとめてヨーロッパ旅行をする人にとっては不便

 


バルセロナ🇪🇸(スペイン)

総合:★★★☆☆

ご飯:★★★☆☆

観光:★★★☆☆

快適:★★★★☆

シーフードパスタのムール貝がとても美味しかった印象、海沿いの街では海の幸を味わうのが一番だ

サグラダファミリアという素晴らしい観光名所があるだけでなく、街全体に南国の雰囲気が漂っていて他のヨーロッパの街とまるで雰囲気が異なるので、見て回るだけでも楽しめる バルセロナの試合を見られたらもっと楽めるだろう いい観光地

地下鉄が観光に使いやすいこととレストランの店員の人柄がとにかく良かったのが好印象 特に接客はヨーロッパで一番

 


アンドラ🇦🇩

総合:★★☆☆☆

ご飯:★★☆☆☆

観光:★★★★☆

快適:★☆☆☆☆

アンドラ料理というものがあるのかはよく分からないけど食べ物は普通に美味しい

このような小さい国は歴史的な街並みがそのまま残っていて訪れる甲斐がある、またタックスフリーなので一体がショッピングモールと化した地域があり買い物も充実しているという最高の街 スキーリゾートなので冬は冬で楽しめる

ただアクセスが悪いことと英語が全く通じないこと、EU加盟国ではないのでFreeのSIMカードが使えないことなどが不便

 

以上が現時点で訪れた国のレビューだ。来月には旧ユーゴスラビア圏をまわる予定なのでそちらもまた更新したい。

実感する世界史 現代史

実感する世界史 現代史 という本を読んだ。率直に言って、これほどまでに分かりやすく第二次世界大戦以降の世界の出来事が説明されている本をこれまでに見たことがない。よくある教科書や参考書のように覚えるべき歴史用語が羅列されているのではなく、まさに実感できるように一つ一つの歴史的出来事を当時の国際情勢や人物の動き、歴史的背景などから鮮やかに描いている。どんな人でもこの本を一度読むだけで世界の見え方が全く変わってくるだろう。とはいえ一度読み終えただけではまだまだ内容を全て噛み砕くことはなかなか難しい。私もまだ一度しか読めていないため、また時間を作り何度も読み返したいと思う。しかし確かにそうしたいと思える一冊である。

正しい言葉遣い

「小説の言葉尻をとらえてみた」「古語と現代語のあいだ ミッシングリンクを紐解く」という2冊の本を読み、私たちが普段無意識に使っている「言葉」そのものについて考えなおす良い機会となった。日本語に正解も間違いもない。あるのは個々人の使う現実の日本語とその積み重ねの歴史のみである。言葉遣いのルールや教科書で習ったきまりに従うことに一生懸命になるのではなく自分らしい言葉遣いを心がけていこうという気持ちにさせてくれた。

日本の農業はなぜ衰退したのか

日本や中国では現在、産業の発展に伴う農村の衰退、そして食糧自給率の低下が問題となっている。一方同じく先進国である米国は農作物輸出国であり続け、高い食糧自給率を維持している。ここには一体何の違いがあるのか?今回は農業の構造的相違について見ていきたい。

資本か、労働か

これには資本集約的農業労働集約的農業の違いが関係している。これからこの二種類の農業の違いを説明していくが、まず前提として農業に必要な三要素は「土地」「資本」「労働」であるということを認識しておいていただきたい。

さて、資本集約的農業とは、「土地」に対して多くの「資本」を費やす(機械による農薬散布や収穫、灌漑設備の整備など)ことで農作物を生産しようという農業だ。米国に代表される資本集約的農業にはあまり多くの労働者が必要ないため、国の産業が発展し都市部や工場に多くの労働者が奪われるようになっても継続しやすく、むしろ技術の発展によってさらなる効率化が見込めるという特徴がある。

一方労働集約的農業とは、「土地」に対して多くの「労働」を費やすことで農作物を生産しようという農業だ。こちらは国の産業が発展すると都市部や工場に多くの労働者が奪われ農業が立ち行かなくなり、日本で見られるような農村の衰退が発生することとなる。

つまり日本や中国は後者の労働集約的農業であるため、農村の衰退や食糧自給率の低下が起こっている、ということができるのだ。

 

労働とコメ

さてここまでは、米国は資本集約的農業を採用し日本や中国は労働集約的農業を採用していることが違いとなっているということを説明してきた。しかしここでもう一つ疑問が浮かび上がってくる。なぜ日本や中国は資本集約的農業を採用しないのか?なぜ米国は労働集約的農業ではなかったのか?

実は、この疑問の答えは気候や食文化、人口密度と大きく関わっている。

米国と日本や中国の大きな違いは何か。それは気候だ。

米国には巨大な乾燥地帯が存在しており、乾燥地帯は小麦の生産に適している。小麦は面積あたりの収穫量やそこから得られるエネルギーが比較的少なく、人数を養うのに大量の生産が必要だ。よって小麦を主食とする地域は比較的人口密度が低いと言われている。現代でいう欧米諸国がこれに当たる。このような地域では、面積あたりの労働者数が少なくて済む資本集約的農業が発展する。

一方日本や中国が属するアジア地域は、モンスーンと呼ばれる季節風が多量の雨をもたらす地域だ。このような地域はの生産に適している。米は面積あたりの収穫量やそこから得られるエネルギーが比較的多く、小麦と同じ収穫量で多人数を養うことができる。よって必然的に、米を主食とする地域では人数を生かすことのできる労働集約的農業が発展するのだ。

 

まとめ

日本や中国の農業の衰退には、気候・主食に起因する農業構造的問題が関わっていた。しかし農村の人口が減った今、日本でも最新技術を用いた資本集約的農業を行う農家が現れ始めているようだ。産業が高度に発展した現代日本だが、これからの農業にはまだまだ目が離せない。

ラカンの理論

精神分析の専門家でもあるラカンは、人間の世界の捉え方について非常にするどい理論を残している。

彼によれば、生まれたとき人間は自己によって自己を認識するのではなく、自己自身ではないもの(身体や他者のイメージ)に自己を同一化し、そこから疎外的に自己を作り上げる。このような自己理解のことをラカンは「L’Imaginaire」(想像界、または想像的なもの)と呼ぶ。このような自己理解の仕方は、同一化の対象への囚われ、つまりその像のイメージへのこだわりと自己取得の間に生じるずれに起因して、不安定な心理状態をもたらす。人間がそこから解放されるのは、言語を習得したときである。言語はそのものを指し示す機能とそのものを他のものと切り離す機能の2つの構造によって初めてものに意味をもたらし、すべてのものを他のものとの関係性の中で理解することを可能にする。しかしこれは同時に、言語の関係性に取り込めないものを切り捨ててしまうことも意味している。ラカンはそのことを「言葉はものの殺害者である」と表現している。

このように、人間は言語によって世界の理解を安定させるのと引き替えに、ものをものそのもの(ほかのものとの関係性や言葉の持つ意味の型にはまらないそのままのかたち)として認識することが不可能になる。ここで第二のずれが生じる。ラカンはこの言語の構造に基づく自己理解のことを「Le Symbolique」(象徴界または象徴的なもの)と呼ぶ。

このように、人間はまず想像界で、次に象徴界で自己を理解するようになるが、これは人間が自己やものをそれだけによって直接把握するということができないことを表している。人間は他者なしに自己やものを理解することはできないのである。一見、この媒介の必要性から再び理解のずれが生じ、そのずれはとてつもなく大きなものになるように思えるが、ここにラカンの理論の革新的な部分が詰まっている。

そもそも理解するべき自己やものとは、知覚されたイメージや言語を介して理解することができる自己ではなく自己そのものであり、或いは象徴界には取り込めないものそのものである。ラカンはその「そのもの」のことを「不可能な対象」「欲望のあり得ない対象」と呼び、この理解に無意識の構造と自我との関係を解明する精神分析の仕事のすべてが懸かっているという。

そのもの自体は、言語化によって消滅するわけではない。それは、言語がものを定義する際に生まれる余剰の部分であり、かつその余剰の部分がそのものをそのものたらしめている。ラカンはこうした一種の逆転構造に基づく理解を「Le Réel」(現実界または現実的なもの)と呼ぶ。そのものを認知することは、言語によって表現されていないそのものを言語の「ものの余剰以外の部分=意味されている部分のみ」によって逆に浮き彫りにすることであり、それによって、言語の定義の妥当性を保証するそのものが後から認知される。

つまり、3つの界をまたぐことによって発生するそのものと理解したものとのずれ自体が、現実界を認知することができない人間にとってそのものを認知する鍵になっているということが、ラカンの世界の捉え方に関する考えなのである。ラカンの理論はこの先も続き人間の自我について説明しているが、ここまでの部分について一度私の考察も交え論じたい。

ラカンの理論に従えば、言葉で説明している以上その本質を言い表すことはできないものの、例えば人間の自我である「わたし」は言語化された「そのものではないもの」であり、「わたし」の正体は大脳の生理学的構造や機能(=現実界)から想像界象徴界を媒介として作りあげられたものである。そしてさらに、自我がそのような仕組みで成り立っているのであれば、当然感情も同じ仕組みで成り立っているということができるのではないだろうか?

私は常々、自分の感情が自分の思考(=自我)によって認知されるときに、その感情が何であるか判断できなかったり自分の知っている言葉に当てはめても納得がいかなかったりする経験をしてきた。しかしラカンの理論に当てはめればこの理由は容易に説明することができる。つまるところ喜怒哀楽などの感情は、人間が膨大な組み合わせのあるホルモンの分泌(=現象界)をいくつかパターン分けし名前をつけたもの(=象徴界)に過ぎないのであって、象徴界を介してそのものをとらえようとしていたから違和感(=ずれ)が生じていたのだと考察することができる。

さて、ラカンはこの理論を人間の自我に当てはめて興味深い結論を導いている。脳の神経回路やその活動によって想像界象徴界を介し作り上げられた「自我=わたし」は現象界を認知できないため自らを「そのものではないもの」であると認識することができず、即ち「そのもの」として認識するようになるというのである。確かにこの文章を書いている私も自分がそのものではないものであるとは思えない。「わたし」が本当は何なのかなど考え始めたら気がくるってしまいそうである。自我というものが様々な「ずれ」を抱えつつこの「ずれ」を覆いかくす形で形成されている以上、わたしたちの精神の正常性の背後には、常にこの「ずれ」が再び顕在化する可能性、「狂気」が控えているのである。

「AIvs教科書を読めない子どもたち」あらすじ・書評

あらすじ

2018年、テレビや新聞でAI(Artificial Intelligence、人工知能)という名前を当たり前に耳にするようになって久しく、巷にはAIに関連する書籍が溢れている。しかし著者いわく、本著はそれらの「AIが神になる」「AIが人類を滅ぼす」といった扇情的なものとは一線を画すものである。というのも、本著は一貫してAIの限界を示すような内容になっているからである。

著者はまず、世間に広まっているAI像とその実態の乖離を指摘する。彼女によると、そもそも現代において本当の意味でのAIというものは存在しない(彼女は本当の意味でのAIと世間一般に言われるところのAIを区別し、前者を「本当の意味でのAI」、後者を「AI」と呼称する)。Siriのように世の中にはまるで人間の言葉を理解しているかのようなAIと呼ばれるものがあふれているが、それらは人間並みもしくはそれに準ずるような知能を持っているわけではないというのである。

その理由は現在のAIの仕組みにある。そもそもAIはコンピュータであり、コンピュータがするのは計算、それも四則計算のみである。つまり、現在のAIが目指しているのは、人間の知的活動を四則計算で表現するか、表現できていると感じる程度に近づけることなのである。しかし、知的活動を科学的に観測する方法などそもそもなく、前者は実現すべくもない。では後者はどうか。後者を実現するために今盛んに研究が行われているのはSiriなどに代表される「ディープラーニング」と呼ばれる手法である。しかしこれは統計と確率の手法の延長であり、結局のところ現在そして近い将来論理的な思考を再現することは不可能なのである。また著者は、世間で通用しているAIという言葉は「AI技術(AIを実現するために研究されている技術)」と混同されていると指摘する。当然だが、「AI技術」自体はAIではない。先述のSiriなども、厳密にいえばAIではなくAI技術なのである。

人間並みの知能を持つAIが誕生し得ない以上、AIによって人間の仕事が脅かされることはないように思える。しかしその考えは早計であることを、筆者が主導してきた「東ロボくん」プロジェクトが証明している。

「東ロボくん」プロジェクトは、AIが東大に合格することはできるか?というテーマを掲げて2011年に始まったプロジェクトである。結果から言えば、開始から7年が経った今、MARCHの合格圏には達しているが、東大に合格することはできていない。情報検索や論理的な数式処理では、世界史や数学を解くことはできるが、この方法では国語や英語で得点するのが難しいからである。たとえ論理的な言語処理ができたとしても、文章に書かれていない「常識」に基づいて判断することのできないAIには、文章題の読解をすることはできないのである。しかし世界史や数学、つまり知識と計算に強い以上、主にそれらが必要とされる仕事、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる仕事は、今後AIによって代替されていくだろうと著者は指摘する。そうすると人間はAIにできない仕事、コミュニケーションや理解力、いわゆる「読解力」の求められる仕事をできるようにならなければならなくなる(ここでの読解力とは「文章の意味内容を理解する」という意味)。

では私たち人間は、その「読解力」を十分に持つことができているのか?累計2万5千人を対象に実施された基礎的読解力のテストによると、中学校卒業の段階で、3人に1人が簡単な文章を理解できないという結果が出たそうだ。また高校生の半数以上が、教科書に書かれた内容をしっかり理解していないことも分かった。つまり先ほどの問いへの答えはNOということになるだろう。そして残念ながら、読解力を向上させる方法を解明した科学的な研究は未だないのが現実である。

当然のように、これから企業で必要とされる人材は、AIで代替できないような人材となる。しかし現在の教育ではこのような人材を育てることはできていない。

そうなると、AIでは代替できない仕事は変わらず人材不足のまま、AIに仕事を奪われる人々が多数発生することになる。著者はこれによって「AI恐慌」が起こると警鐘する。「AI恐慌」を回避するには、AIに代替される仕事を上回る量の仕事を新たに生み出すしかない。

しかしながら、新たに生み出される仕事はAIに代替されない仕事でなければならない。AIが既にMARCHの合格圏に達している現状を踏まえると、人間にしかできない知的労働に従事する能力を備えている人は全体のわずか20%に満たない可能性がある。著者は、その未来を避けるためには、一人一人が小さくても需要が供給を上回るビジネスを探すこと、つまり人間にしかできないことを考えて実行に移していくことが必要であり、それが唯一の道であると語る。そうすることができれば日本も世界も、「AI恐慌」に見舞われることなく発展していくことができるのである。

 

書評

本書はこのように、AIの現状・現実を研究者の立場から丁寧に解説し、またAIが我々に及ぼしうる影響を警鐘するものとなっている。しかし、「AI恐慌」が多くの人々が「人間にしかできない知的労働に従事する能力」を持っていないことに起因して発生するにも関わらず、それを防ぐ対策として「人間にしかできないことを考えて実行に移していく」ことを挙げているのは矛盾しており、結局のところそれができる人間を育成することを掲げた著者のプロジェクトであるRST及びそれを提供するための社団法人「教育のための科学研究所」を宣伝するための展開であることは否めず、論理展開として納得のいかないものであった。ただ、内容としては非常に分かりやすいものとなっており、特にAIの知識がないものにとってはAIが何なのかを最前線の研究者から学ぶことができる良書だということができるだろう。